青梅の町を歩こう!
- 今田
- 12月8日
- 読了時間: 9分

どうもどうも。先週のヒルネット。
今回は最近の教室の様子から。
実はつい先日の土曜日、教室で秋の落ち葉を使ったワークショップを行っておりました。名付けて「秋の落ち葉アート」ワークショップ。
これはヒルネットだけでなく、個人レッスンを行う「ブイネット教育相談事務所」とも共同で行った企画。講師は自然を生かした作品を長年作ってこられた美術家の川村忠晴先生。
当日はヒルネット以外からも人を募って開催。ヒルネットでは、特に工作が好きな面子が集まりました。

季節によって様々な表情を見せる自然の美しさ。
とりわけ秋の紅葉は春と並んで日本の自然の美しさを感じさせる季節です。
それは木々から舞い落ちた葉の表情も同じ。一枚一枚が、少しずつ変わった色合い、形をしています。
これらを「アート」として作品にしてしまもうという今回の企画。子どもたちそれぞれが、個性的な作品を作ってくれましたよ!

まずは集めてきた落ち葉から、自分の気に入った葉を選びます。

それらの落ち葉を、キットとして川村先生が用意してくださった透明なプラスチックの中に、どう配置すればかっこいいか考えます。
落ち葉は後ろから小さなLEDライトで照らすんですが、そなためのハンダゴテの作業も、川村さんに手伝ってもらいながらも自分たちで。

どんな感じで飾るとカッコ良いかなー。落ち葉は何度も入れ替え自由。でも、だからこそ自分なりの「ベスト」を探すのに、みんなすごくアタマと時間を使って考えてましたよ!


ということで、とりあえずの完成!
どうですか? めっちゃキレイでカッコよくないっすか!?
みんな本当に素敵な作品が出来上がりました!

今後も機会があれば、こうした自然を生かした「作品」を作るワークショップを行っていきたいと思います! 川村先生、ありがとうございました!

さてさて、そして先週の金曜日。
今回は久しぶりに町歩きフィールドワーク。中央線を西に進んで、青梅の町を歩くことになりました。
何ゆえに青梅? 奥多摩に出かけたりするときの乗り換え以外に、あまり知られていないかもしれない、この多摩の町。
しかし、実は謎に「猫」を町中で「祀って」いたり、昭和レトロを推しだしていたり、実は実は小泉八雲『怪談』に登場する「雪女」の舞台となった町であったりするのです!
今回は、そんな不思議な町、青梅を散策してきましたよ!
ってなわけで、本日は久しぶりに木星から帰ってきた男、マロッコに登場してもらいましょう!
最近、レポートとかに色々追われているマロッコ。しかし、今回は「いや、月曜までにな何とかなります」と言うておったので、実はここまでの文章は全て一昨日の段階で書き上げておったのだが、マロッコがジ・Oに搭乗して颯爽とやって来るのを待っておったのだ!
なのでなので、よろしくマロッコ! 君は、刻の涙を見る!

〈小泉八雲ことラフカディオ・ハーンは、その著作「怪談」の序文で次のように記した。
「one strange tale, “Yuki-Onna,” was told me by a farmer of Chōfu, Nishitama-gōri, in Musashi province, as a legend of his native village.」とある。(手元に丁度日本語版がなかったため、「KWAIDAN」より引用)
当初僕は、この伝承を、当時武蔵野国北多摩郡に属していた調布町(今の調布市西部)におけるものだと思っていた。むろん、西多摩郡と北多摩郡とは違うのであるから、よくよく見ればわかるものではあるのだろうが、一度根付いた勘違いとは恐ろしいもので、その誤解を解くことのないまま、いつしか一年が過ぎた。
僕が初めてその誤解に気がついたのは、おそらく昨年の初めに調布飛行場を訪ねた時であったと思う。ヒルネットで、野川沿いにて山菜を取りつつ気ままに歩くため、右手に広がる同飛行場を、また離陸する小型機を少し見上げるような角度のもと、野川を目指している時のことであった。
そのことを知ったのち、暫くはその地名が何を表しているのか理解することができなかったが、やがて現在青梅市に属する土地の南部、調布村と呼ばれていた土地こそが伝承の舞台であるということを知った。
「雪女」の伝承は、ハーンによって再構成されているとどこかで聞いたことがあるが、確かにこうもはっきりと、武蔵国西多摩郡調布の百姓が彼の故郷に伝わる話であると語ってくれた、と記述されているというのに、今日ではこれほどまでに誤った、まるでこの話の舞台を東北や北陸であるとするかのような解釈が広まってしまっていることを見ると、たしかに「怪談」に掲載されたものどもは、みな伝承文学であると頷くことができるのである。〉

〈この日の参加者は、スタッフ四名を含めると、総勢二十三名にも上った。
そのうち二名を除いては、誰一人として雪女伝承の残る調布橋を訪れたことがなく、その二名にしても、もう六、七年も前のことであるというので、ほとんど内容を覚えていないというのであった。
この数日前、一気に気温が下がり、冬に入ったことがまざまざと実感された。
つい数日前までは、あたりを蚊が飛び回っていたことを考えると、随分と急な気候の変化である。
そんな、気温の急激な低下によって自律神経が破壊されたのか、それともこれから青梅にやって来ることを知り、枕元に雪女が降り立って、冷たい息で彼を起こしたものか。
彼、あるメンバーのことは、ここでは仮に山童と呼ぶことにする。かつては水遊びの際無差別に人を川に引き摺り込むことから河童と呼ばれ、メンバーから老若男女を問わない非常な恐れを集めていた彼も、今では高校三年生。
河童が山に上がって山童となるように、今ではもうそんなことはぷっつりとやらなくなって、前日まで行われた期末試験の疲れを取ろうと深く眠りについていた彼は、この日、まだ日が登る前に、ふと目を覚ました。
後から彼に訪ねたところ、どうやら何を考えて行動したということはなく、唐突にそのような気持ちを抱いてしまったのだという。
時は、午前三時半。
まだ日の上らぬ夜の街を、彼は一人、青梅を目指して歩き始めた。寂しい夜の街を、少しでも疲労を被らないようにと貴重品以外の何物も持たず、鋭く吹き付ける寒風から、衣類の外に出た手や耳などの末端部を抑えるようにして防ぎながら歩く彼の姿は、想像するだに寂しいもののように思える。
その距離、実に三十五、六キロに達したと聞く。
幸にして、彼は子を抱けと迫る雪女郎にも、口が耳元にまで裂けた色白の女にも会うことなく、六時間をかけて無事に青梅駅へと到着した。
その報を受けた皆の顔が、まるで茶碗の中に男の顔を認めた関内何某のように、もしくは芳一が墓地で琵琶を奏でているのを認めた和尚のように、怪しいものを見るような、そしてそれ以上に名状し難い恐怖を湛えたものであったことは疑いようもない。
彼の名がいつの日か新たな怪異として、密かにメンバーやその家族友人の間に記憶され広められていくことは、最早そう遠いことでもないだろう。

〈青梅は猫の町である。
街中には猫を描いたポスターがいくつも貼られ、道を歩いていて見る傘立てなども、すべてが猫をイメージしたもの。
そこそこ長い階段の上に立つ住吉神社にも、一の鳥居をくぐった参道の左側に阿於芽猫祖神、鳥居の両脇にも一対の招き猫が奉納されている。〉





〈だが、メンバーの大半は、この日これまでに三十何キロもを踏破した猛者による武勇伝の披露に夢中であった。そこから自然、小泉八雲の怪談が連想され、化け猫の登場するものは果たしてあったかと何年も昔の記憶を探るも、生憎とんと出てこない。
さて。住吉神社の向かいには、昭和レトロ商品博物館という、小さい建物がある。
名は体を表すとばかりに昭和中期~後期の商品を扱った博物館である。入ってすぐのところには漫画雑誌や本が並び、奥の方にはたばこなどの姿も見える。
昭和レトロと言いながらも、「金鵄」などの姿が見当たらないことから、さては戦前の時代はレトロに含まれないのかと、一人うちうなずいているうちに時間が経ち、入り口に近いところにある階段から、人が降りてくるのに出会った。〉






〈階段の上、二階は雪女の展示室となっている。
先ほど降りてきた人々と入れ違いになるかたちで靴を脱ぎ、急な階段を上っていくと、八畳二間の畳敷きの部屋に行き当たった。
青梅は雪女の聖地であるということで、階段を上った先向かって左手側の壁には雪女に関する八雲の記述や同地に伝わる伝承などがずらりと並び、奥には絵画や人形なども飾られていた。
入り口が狭いためか、階下の音もあまり聞こえずしいんと静まり返った空間が演出されていた。それは非常に落ち着く、素晴らしい空間だ。〉



〈しかしながら、雪女についての資料室は、その現場を体感できるようにしなければならないとでも考えたものがいたのだろうか。
一切暖房が通っていないため、畳敷きの二階ともなれば足元の床面は極寒である。靴下なぞ履いていないかのように足先がかじかんで、長居を許さない。〉

〈当初の予定では、この後雪女の碑を見に行き、釜の淵公園で食事をするとのことであったが、時計を見るとすでに十二時三十分になろうとしており、これがまたもや見事な机上の空論と化すことは、誰が見ても自明の理というものであった。
遅まきながら時間に気が付いた者たちによって互いに声がかけられ、急いで外に出たメンバーたちは、伝承の舞台である調布橋を目指していく。
てっきりもっと痛ましい落ち武者のような行軍となるのではと期待していたが、あれほど寒い部屋にいたというのに、誰も消耗した様子を見せない。既に六時間行軍してきた者も、なんであれば周囲のメンバー以上に元気いっぱいであるように見られた。
物語の中で、茂作と巳之吉とは渡し守の小屋に難を逃れようとする。
当時は多摩川が定期的に氾濫したであろうから、その小屋が今の川沿いにあるとは思わないけれども、確かにこのあたりで彼らが一夜を明かしたということはわかる。とはいえ、幾度も奥多摩に来たことはあるが、冬期に驚くほどの豪雪にあったことも、人づてに話を聞いたことも、これまで一度もない。
八雲の生きた時代から、とても長い時間が経った。「雪おんな縁の地」の碑は、今では調布橋と小泉八雲とを顕彰する以外の役を担っていないように思えた。〉

〈釜の淵公園まで幾度か道を失しながらもたどり着くと、すぐに皆、水切りや缶蹴りといった遊びに夢中になった。
この後、青梅の地名の由来となった、金剛寺に行くことさえも忘れて。
この寒い中町を歩いたのち、缶蹴りなどやる無尽蔵の体力を持つ皆に対して、深い驚嘆の念を惜しまないものである。
彼らに倣って、次回の活動時には25キロほど歩いて集合場所に向かおうと考えたが、両親に固く諫められ、目的を達せぬことを一筆持ってここに謝す。〉



と、こんな感じだった先週のヒルネット。
さて、今週の金曜は、レインボーブリッジを渡ろう!という企画が持ち上がっておるんですが、天気予報を見ると、えらい寒いみたい(先週の予報では違った!)。
予定通りで行くのか、また別の企画を考えるのか。
また、皆で話し合いたいと思います!
それではそれでは!




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