ということで行ってまいりました。
豪徳寺!
しかも周辺の街探検では安土桃山時代から現代までをイメージする、内容の濃い1日となりました。
JR小田急線豪徳寺駅に集合して、世田谷八幡宮を目指します。
駅周辺は近代的な施設が目に入りますが、一度道に出ると歩道が網目のように広がっており人の歩いていた道の痕跡がわかります。
狭い商店街にも車が来るので気をつけて歩きます。
小田急線とは別の世田谷線が視界に入ってきます。
ローカル線だけあって、住宅街を駆け巡る感じが面白いと個人的には思っております。
2つの年代が交差しているようですね。
ローカルな世田谷線を越えて少し歩き、世田谷八幡宮にふらっと立ち寄ります。
こちらが世田谷八幡宮です。
高低差のある敷地のこの神社は吉良頼廉が創設の神社で、世田谷城の出城の役割があったそうです。
境内を背にそびえる二本の松に圧巻されます。
なんだか微妙に興味の湧く石が置いてあります。
続いて
世田谷八幡宮を抜けて世田谷代官屋敷を目指します。
昔は世田谷城南側を囲む様に流れていた烏山川も1979頃から暗渠化が進み、現在はほとんどが下水道となっております。
全長7km程度あると言われているこの緑道沿いには植栽が施されたり、遊べるスポットがあったりします。
住宅街に列植された緑は妙な圧迫感がありました。
緑道を歩いて向かうは世田谷代官屋敷。
今年の1月のボロ市で訪れた時はコロナ直前の賑わいを見学ましたので、平日とのギャップに驚かされます。
こちらは代官屋敷内にあった机です。
こちらは併設されている郷土資料館に飾ってある写真です。
ふんどし姿の男子のインパクトが大きいようでした。
ボロ市は開催しておりませんが、中古品などを売っているお店で掘り出し物を探したりなんかりして、街の雰囲気を楽しめました。
お弁当を食べに世田谷城跡を目指します。
お弁当を食べたら鬼ごっこををして盛り上がります。
城跡だけあり、高低差の急な公園は普段よりもスリリングなステージでした。
食後の運動の後は城跡をみながら進みます。
世田谷城は1590年に豊臣秀吉の小田原攻めにあうまでは、江戸城の太田道灌と同盟関係を結んで武蔵国の中心勢力として栄えていたそうです。
時々散歩の際に訪れる荻窪八幡宮では、太田道灌の植えた道灌槇(マキ)の側でお弁当を食べているので、不思議な親近感が湧きます。
公園内には石垣などが残っていますが、今は公園として地域の憩いの場になっています。
そして歩くとすぐに現れるのが豪徳寺です。
正面の入り口まで続く松の木の背は高く、歩くだけで気持ちの良い道です。
豪徳寺は、井伊家御菩提所であり、
当時猫により門内へと招き入れ立てた井伊直孝が雷雨を避けて和尚の法談を喜んで菩提寺にしたと言われています。
そのため招き猫の発祥の地とする説もあります。
招き猫、ではなく「招福猫児(まねぎねこ)」と称し、招福観音を祀る招猫殿をおく。
こちらはその一部でございますが、一体だと可愛いものですが、こうもたくさんありますとなんというか、少し不気味な感じもします。
いろいろなところに招き猫がいます。
こちらは一番小さいサイズで300縁から購入可能ですので、訪れた際にはおひとつどうぞ。
おみくじを引いたり招き猫を購入した後は、井伊家のお墓も覗きます。
こちらが一番奥にあります、井伊直弼のお墓です。
日米修好通商条約に調印し、桜田門外で暗殺されたことは有名ですが、こうしてお墓にきてみるというのも、日本の歴史を振り返る貴重な機会になったと思います。
というわけで、今回のフィールドワークも無事に終了!
帰りは世田谷線にも乗れて充実した1日でした!
それではまた次回。
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