どうもどうも。
さてさて今週のフィールドワーク、古の東京を訪ねる旅としては第三弾、浅草に行ってまいりました。 皆さんご存知の通り、浅草はすでに江戸時代から栄えておった町で今も当時の情緒を残す町としても有名です。 そんな浅草で江戸情緒を味おうというのはもちろんですが、一方僕たちとしてはあくまで隅田川周辺を歩く企画の一環でもありました。 というのも、浅草は江戸以前から一つの「湊」でもあり、中世においては漁民が多く住み着いていた場所でもあったからなんですね。
ということで、やって参りました浅草。
いきなり浅草寺に参るのではなく、ここは前回築地本願寺に行ったのだからということで、古地図を見ながら東本願寺に向かう一行。
で、右写真がその姿ですが、うーん、失礼ながら、ちょっと微妙。。。
築地本願寺はなんか「魔王の神殿」みたいで、それはそれでどうなんだという感じでしたが、こちらは逆に平凡というか、なんか荘厳さがあんまりないというか。。。
いや、まあ僕たちの主観なんで、他のちゃんとした人が見れば違うんだと思います。
単純に前回の築地本願寺のインパクトがすごすぎただけでしょう。。
さて気をとりなおして、メンバー一行、古地図を見ながら浅草寺に向かいます。
上にも書いた通り、それほど江戸時代から、街並みに変化のない浅草寺周辺。
すぐに場所がわかります。
が、面白いですね。 昔の浅草寺はもっと巨大で、現在、ふつうに商店が立ち並んでいるところも、元は寺社の一角だったりするわけです。
「あれ、わしらもう、浅草寺に到着してるはずなんやけど」
「ほんまや、目の前の風鈴屋、昔は浅草寺内の池やったとこやんけ」
「ちゅうことは、仲見世通りっちゅうのは、境内の参道やったわけなんやね」
などと会話をかわしながら、たどり着いたは、そう雷門。 一応記念なので、一枚パシャ。
「雷門って誰が作ったん?」 「パナソニック」
「は?」
「だって提灯ところに書いてあるやん」 などいうアホな会話をかわしながら、先に進みます。
ちなみに雷門を本当に作った人は、平公雅という中世初期の武士ですね。
天慶の乱の際、平将門の討伐に派遣された武士の一人です。 無事、平将門を討ち果たした恩賞として安房守になるんですが、その後、武蔵守に配置換え。それを喜んで浅草寺再建の際に建造したとか。
「平公雅って誰? めっちゃマイナーやん」
「ていうか平将門ってなんで反乱起こしたん?」
そんな質問に答えながらも仲見世通りに突入。
メンバーの関心はいきなり買って帰るい土産に。
まあ、でもいいんですよね。 こんな些細な会話でも、彼らが歴史や街の成り立ちへちょっとでも関心を持ってくれる、その入り口になってくれれば良いわけなんですから。
そして、ついに浅草寺に到着。 前回の記事でレイ先生が書いてましたが、寺なり神社なりを見ると、とりあえずお参りしとかないと気がすまないメンバー。
浅草寺境内の日陰の場所を見つけて昼食にします。
その後は30分ほど、お土産タイム。 「ワイはどうしても狐の黒仮面が欲しいんや!」
「わしは人形焼を買って帰らんとおかんにしばかれるんや!」
などというメンバーのため、30分後に雷門の前に集合することに決め、一時散開。
で、30分後。
お分かりでしょうか。 右少年の満足そうな顔を。
そうお土産タイムのあと、集合したところ、念願の黒狐仮面を手に入れたということで、記念にパシャ。
なんかプロレスラーのマスクマンみたいなんですが、まあ本人が満足そうなんで良いでしょう。
さて、浅草寺にも参って、その後どうするか。 実は、僕としてはこの後が本番でした。
ズバリ、隅田川を海上バスにのって川下り。
僕としては、あくまで浅草は出発点。本来はそこで江戸の情緒を感じつつ、埋め立てに埋め立てを重ねられて、すっかり江戸時代とは様相を変えてしまった隅田川〜東京湾の姿を、前回と同じく古地図を見ながら実感してもらうことにありました。
ということで、いざ水上バスへ。
流石に皆さん、川下りには興味津々。
。。。かと思いきや、むしろ船室で涼をとるメンバー。
ま、昨日も暑かったからね。
でも、流石に船が出発すると、外の川岸の景色を堪能します。
以下、船中からの景色。
「あ、見てみ! あれ先週行った佃島やで!」 「ほんまや、あれ先週登った見張り台やん」
「あ、住吉神社もあるで」
などと、船上から前回自分たちが探索した街を発見するメンバー」
そう、先週探索したように、そこは江戸の昔、東京湾に浮かぶただ一つの「島」だったのです。 ところが現在、僕たちがいるのはあくまで「隅田川」。 佃島の向こうにも街が、ビルが延々と続いています。
古地図の上で確認すると、僕たちが今、いる場所はもう完全に海。
東京湾です。
本当なら、この船上から見える景色はどこまでも広がる大海原だったことでしょう。
が、現在はご覧の通りの街並みが続きます。
古地図と現在の景色を見比べながら、良い悪いは別として、大人の僕でさえ何とも不思議な気分となりました。
さてさて、こんな感じで終わった今回のフィールドワーク。 上にも書きましたが、一つ一つの出来事、体験が子どもたちにどんな影響があるかはわかりません。
それでも、そのうちのたった一つの出来事が、あるいはそれら体験の総体が、ひょっとすると彼らの知的関心の種となり、やがて芽を出すきっかけになるかもしれません。
そんな期待を込めて、今後もフィールドワークを続けていきたいと思います。
それでは、それでは。
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