こんにちは、こんばんは、大澤です。
たまにはブログに挑戦してみようと思います。
という訳で、今回は『築地』に行ってまいりました。
そもそも何故築地へ行くことになったのかといえば、実のところ、昨日のミーティングを欠席していたのでよくわかりません。
しかし、過去何回かの古地図フィールドワークの際、
「今こんなに住宅街なのに、昔は畑しかないやんけ!」とか
「この道昔はでっかい川だったのか!」とか
「この先の海はどうなってるんや!」とかみんなが言っていたので、
隊長が「よっしゃ!ほんなら、海行きまっせ!」
といった感じで、築地になったのかと思われます。
そんなこんなで、西荻窪から四谷、銀座を経て築地へ。
なんと今回は、フィールドワーク初の「現地集合」だったんですね。
みんな無事にこれているのかと心配しながらも駅に到着すると、メンバーの女子が一人スマホを見ながら待っている。
「あれ、みんなはまだ来てない?」
「おそらく、中央線が少し遅延していたので遅れてるんだと思います。」
初の現地集合感を全く漂わせない彼女と共にメンバー待っていると、無事全員到着。
残りのメンバーも、「外国人が多いなー。」とか言っていたので、現地集合はなんの問題もない様子。
そんなこんなでいざ築地の街へ。
最初に訪れたのは、築地本願寺。
「なんじゃこりゃ。」とEさん。
確かに、お寺のイメージとは少し異なっているこちらの建物。どうやら、1923年の関東大震災の際に全焼してしまい、1934年に再建されたものだそうです。
その際に、それを設計した伊東忠太博士がインドの古代仏教建築を模した為にこのようなデザインになっているのだとか。
「すごいなー。これお寺なんだってさ。どう思う?」と生徒達に聞くと
「なんかダサい」とか「んー普通の方がいい」とか反応はいまいち。
気を取り直して昔の海を目指して出発。
古地図も少し見慣れて来たようで、メンバーぞろぞろと歩きだします。
「ここが川だから、あの橋の向こうが海だ。」とK君。
10分くらい歩くと少し上り坂になりその先に大きな橋が見えるが、それと同時にとても大きなビルが視界に入ってくる。
「え、絶対あそこに海ないじゃん。」とEさん。
「どうせ埋め立てられてるんでしょ。」とエカ様(生徒のあだ名)
「まぁ、今はもう海はないよね。」とk君。
そう。もちろんそこは現在埋立地となっている為、過去にあったであろう海の姿は無く、視界に入るのは高層ビルと都会を流れる川。
※写真を撮り忘れて申し訳ありません。
海が見えないと分かると、メンバーも空気を読んで少しがっかりしたような素ぶりをしていました。
しかし今回の目的は海を見ることだけではなかったのです。
「そんじゃ次は、あそこの海の上に行くで!」
という訳で、昔の海の上は実際どうなっているのかを見る為、橋を渡ります。
じつは写真を見ても分かる通り、めちゃめちゃ暑い。
傘をさしてなんとか対処するも、直射日光がきつく気温も32度を超えていたのです。
橋を渡り、昔はちょびっとしかなかった土地に足を踏み入れると、周囲とは違った雰囲気の住宅街や緑が広がって来ました。
「ここがもともとあった佃だね。」
そして、佃の街を行ったり来たり、散策した訳です。
こちらは佃公園の中にある見張り台。外国人観光客の姿や地域の人の姿もあり、それなりに賑わっていました。
見張り台から見える景色は大都会東京、
「昔はもっと遠くまで見えたんだろうね。」
と過去の景色を想像してみても、ちょっと変化が大きすぎて、いまいちイメージしずらいですね。※写真を撮り忘れて申し訳ありません。
何故かわからないけれど、一階は公衆トイレになっていてそちらも気になります。
佃公園ではお弁当を食べたり、足つぼをしてみんなで健康になったりしました。
(子どもは普通に歩いていましたが、大人2人はめちゃめちゃ痛かったです。)
なんだか、戯れている写真ばかりですが、
現在の埋立地になっている部分を歩き回ったり、隅田川に隣接している石川島公園を見学したりもしました。
写真は川と公園の境界線で、少しわかりづらいですが、このエリアは潮の満ち引きで園内に川の水が流れ込む仕組みとなっています。
この日はたまたまなのか水はかなり少なかったですが、メンバーはカニや貝も発見していました。
今回の築地古地図フィールドでは、実際に海の上の町を体験できてとても楽しかったです。
メンバーが一番盛り上がったのはおそらく、苦しみながら足つぼエリアを歩いている大人二人をいじめている時だと思いました。
次回は写真ちゃんと撮ります!それではそれでは。
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